これまでに取り組んだ事件

-日本の夜明けは信州から- 田中知事の「脱ダム」宣言と下諏訪ダム中止決定

格調高い「脱ダム」宣言
 数百億円を投じて建設されるコンクリートのダムは、看過し得ぬ負荷を地球環境へと与えてしまう。(中略)よしんば、河川回収費用がダム建設より多額にな ろうとしても、100年、200年先の我々の子孫に残す資産としての河川・湖沼の価値を重視したい。長期的な視点に立てば、日本の背骨に位置し.数多の水 源を擁する長野県においてはできうる限り、コンクリートのダムを造るべきではない。

 「公共事業の見直し」を公約に掲げて2000年10月に当選した田中康夫知事は、精力的に現地視察や車座集会を実施したうえで、2001年2月、このよ うに述べると同時に、下諏訪ダムについて、「未だ着工段階になく、治水・利水ともに、ダムに頼らなくても対応は可能であると考える」と述べて建設中止の方 針を明言しました。

アメリカで撤去されたダム 469基
 ここ70年間にわたり湯水のようにダムを作り続けてきたアメリカで、1994年に脱ダム宣言が出され、以来7年間に469のダムが撤去されました。もと もと世界大恐慌によって生じた失業者の雇用促進政策として始められたダム建設であったが、コンクリートをふんだんに使ってダムを作り、川を直線化し、高い 堤防を造るという手法では、次々に大洪水に見舞われてしまい、かえって洪水被害を大きくしてしまったことを真摯に反省したものです。ヨーロッパでも、この ような「近代河川工法」がより洪水を大規模にしてしまい、自然というかけがえのない生命体を大きく破壊したとの反省が強まり、ドナウ川とライン川流域で 3000もの自然の川に戻す再生計画が次々と実行に移されています。

「初めにダムありき」だった下諏訪ダム計画
 日本でも、明治以来3000近いダムが建設されてきていますが、真に住民の命と暮らしを守るという見地から作られたダムがどれだけあったでしょうか。下 諏訪ダムについても、①長野県は遠く離れた岡谷市の横河川にまずダムを作ろうとした、②その後砥川に作ろうとし、③最後に東俣川に造ることに決めた、④最 初は洪水防止(治水)だけが目的だった、⑤それだけだと建設が認められにくいため、水道水確保(利水)も目的とすることにした、⑥それも岡谷市だけの利水 目的では建設しにくいため、水道水が大量に余っている下諏訪町も引き込んだという経過でした。地元住民の命と暮らしを守るという視点など見当たらず、長野 県とその後ろにいる国から建設を押しつけられたのです。自民党政治家が大手建設会社から多額の献金を受けて、大手建設会社が潤うように国民の税金を湯水の ように注ぎこむというパターンがその背景にあります。
 当事務所でも、下諏訪ダム建設中止を求める住民訴訟に全力投球し、自由法曹団長野県支部の一員として田中新知事を支えるための見解を次々に発表するなど 「脱ダム」宣言の実現に貢献して来ました。今後は、この方針が現実に実っていくようさらに力を注いでいきます。(弁護士 毛利正道 )

 (しらかば2001.4)

 

信州しらかば法律事務所

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