蒲原沢土石流災害判決
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現地検分 2003年10月7日 |
H8.12.6.午前10:30~10:40頃、姫川との合流地点の上流約2・7キロ地点で発生した土砂崩壊が引き金となり、土石流が発生し、河床等で工事をしていた作業員が土石流に巻き込まれ、死者14名、負傷者9名の大災害となりました。
3.前年の災害により、国道148号線、鉄道(大糸線)など寸断されていました。国道148号線は、長野冬期オリンピックのジャンプ・アルペン滑降の会場である白馬村と日本海側を結ぶ、唯一の道路なので、H10.2のオリンピック(H9のプレ)に向けて、工事を急いでいたという事情がありました。
また、元々、この辺りは崩壊が起こりやすい地形・地質であり、しかも、災害前には記録的な降雨もあり、地盤が緩んでいました。
このような危険な工事現場であったにもかかわらず、何も安全対策がなされていませんでした。土石流センサーの設置なし、監視人もなし、サイレン等もなし、避難設備なしの状態でした。
4.土石流の流れた距離は約2・4キロ~2・7キロで、速度は約13~15m/秒と推定されます。土石流が発生してから(山の崩壊からだともう少し余裕ある)、作業現場まで到達するのに160秒~208秒の時間はあり、実験によれば、30秒~60秒で避難が可能でした。
3で述べた安全対策がなされていれば、作業員は助かった可能性が高かったと思われます。
5.本件工事は、国・県の発注でしたが、何の安全対策もしていなかったのに全く誠意ある対応をしない国・県の責任を問うために、死亡した3名の方の遺族がH11.11提訴しました。
その後、長い間、様々な論点について審理を尽くしてきましたが、5月10日に判決がありました。
判決の内容は、極めて杜撰なものでした。土石流発生を予見することは出来なかったと決めつけ、国・県の責任を否定するため必要な限度で、ごく簡単に判断しているだけのものでした。裁判ですので、負けることもあります。ただ、これ程までに、いいかげんな判断に接したのは初めての経験でした。
6.遺族の方々は、当然、判決を不服として控訴しました。9月からは、東京高裁で審理が始まります。
判決内容を精査し、一審の判断を覆すべく、これまでの主張を見直し、高裁の裁判官が納得するような書面を作成しているところです。
弁護士 相馬 弘昭 (しらかば 2006.7)