トンネルじん肺訴訟の歴史的解決
1.平成9年12月、トンネル工事に従事していた人達(元トンネル坑夫)が、ゼネコンに損害賠償を求めて、長野地方裁判所に訴えを提起しました。長野だけではなく、全国23の裁判所で、最終的には総数約1500人にもなる大規模な裁判でした。
裁判の原告となった坑夫達は、全員、「じん肺」という不治の病になっていました。長年、トンネルの掘削作業をしている間に、大量の粉じんを吸い込み、「じん肺」という病に冒されてしまいました。
2.当初、このような裁判がやれるのかという心配もありました。というのも、トンネル坑夫というのは、全国のトンネル工事現場を渡り歩く人が多く、団結した行動などとは、全く無縁の生活をしていた人達だったからです。
しかし、その心配は、全くの取り越し苦労でした。その後、裁判は、トンネル坑夫達の要求のとおり、ゼネコンから謝罪とともに損害賠償も勝ち得ることが出来ました。病に冒された体にムチうって全力で闘った坑夫達には、本当に頭が下がる思いです。
3.ところで、裁判の目的は、「謝れ、償え、なくせ」じん肺ということにありました。
ゼネコンとの裁判では、「謝れ、償え」という点は達成できたのですが、「なくせ」という点は達成できませんでした。もちろん、ゼネコンとの裁判の中で、ゼネコンに対して、これ以上じん肺が発生しないよう防止対策をすること、裁判という大変な手続をしなくてもじん肺患者を救済する基金制度(ADR)を作ることも要求しました。しかし、ゼネコンは、国が積極的に関与するのでなければ無理だというばかりでした。
4.そこで、平成15年9月、トンネル坑夫達は、国を相手として、じん肺防止対策をとらせることを主たる目的として、再び裁判をやることにしました(長野を含め、全国11の裁判所)。自分達は、前のゼネコン相手の裁判で賠償金を獲得していますので、将来のじん肺発生を何とか防ぎたいという純粋な気持ちからでした、
その後、トンネル坑夫達は、裁判所における訴訟活動だけではなく、裁判所外における運動に、命懸けで取り組みました。
坑夫達の熱意の成果として、まず、東京地方裁判所をはじめとして、5つの裁判所が坑夫達の訴えを認めました。国がじん肺防止対策をしなかったことは違法であるというものでした。
裁判所の判断を受けて、平成19年6月ついに国(厚生労働省、国土交通省)も、これまでのやり方を改め、じん肺防止対策を実施することを約束し、トンネル坑夫達と文書による約束をするに至りました。
5.残る課題は、国にじん肺防止対策をしっかりと実行させることです。また、裁判をしなくても、じん肺患者を救済できる制度(基金制度)を創ることです。
坑夫達は、この2つの課題を解決するために、今も全力で取り組んでいます。
弁護士 相 馬 弘 昭 (しらかば 2007.10)
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