事務所の歴史
1 法律事務所の設立と個人事務所での活動
設立者弁護士林百郎氏は、1941年弁護士登録し東京第2弁護士会に所属していました。戦後、長野県下で弁護士活動を開始し、1946年の戦後第1回の衆議院選挙に日本共産党公認で立候補(次点)、翌年4月の選挙で当選を勝ち取りました。そして、1948年7月、長野県弁護士会に登録換をし、林百郎法律事務所を開設しました。以後1986年政界を引退するまで、9勝7敗、衆議院で日本共産党としては初めて25年の永年在職議員として表彰を受けました。
1960年5月、茅野市小平放火事件では、戦後わが国では初めて再審開始決定を得、1963年再審無罪を勝ち取りました。1952年発生した大謀略事件辰野事件は、1972年東京高裁で無罪となりますが、1審の8年4か月、ほとんど1人で弁護し、東京高裁での無罪判決への重要な基礎を築いた。
2 共同事務所への発展と県内へ展開
林百郎氏は、1963年11月、国会へ返り咲き、以後政治活動に専念することになりました。
これに先立ち、1961年には富森弁護士が、以後若手弁護士が入所し共同事務所へと発展してきました。そして、県下につぎつぎと事務所を開設していきました。
林百郎氏は1992年死亡しましたが、2004年10月、法律事務所の名称を「林百郎法律事務所」から「信州しらかば法律事務所」に変更しました。
所属弁護士は、全員自由法曹団に参加していますが、住民の苦難あるところに、団ありを実践しています。
民事・刑事・家事・多重債務や消費者保護など一般事件はもとより、労働事件・過労死事件などでは数多くの成果をあげており、自然保護や医療過誤事件も扱っています。
最近は、じん肺訴訟・中国人強制連行事件・イラク派兵違憲訴訟など、全国的事件にも取り組んでいます。 |