事務所ニュースしらかば

しらかば 第104

≪巻頭言≫
≪コラム(握手)≫
≪「無理やり働かされた中国人に対しては、安全を配慮する義務がない」戦時強制連行強制労働長野訴訟で、冷酷な判決≫
≪蒲原沢土石流災害判決≫
≪立山大日岳訴訟判決≫
≪毛利栄子の ~県政さわやか報告~≫

 

≪巻頭言≫

政治の世界と法律実務の世界

 最前線の政治の世界から法律実務の世界へ住み家を替えて5ヶ月が経ちました。住み替えたといっても、私にとって、法律実務の世界はかつての住みなれた世界であり、政治の世界でも、法務委員会に席を置いていましたから、なんの戸惑いもありません。
 政治の世界も法律実務の世界も、その目的は、人間の尊厳を保障することです。政治はその大枠づくりを担い、法律実務はそのなかで具体的に人権保障を担うのですから、この二つの世界は切っても切れない関係にあるはずです。
 しかし今、この二つの世界は、疎遠に過ぎるのではないでしょうか。
 政治の世界で改憲のための議論が進められ、国民投票法案まで国会に提出されて、人権と平和の土台が揺すぶられようとしてします。しかし法律実務家の声は、まだそれほど大きくはありません。
 一方、法律実務の世界で、肝炎問題やかつての戦争責任の問題などで、政治の責任が指摘されても、政治の世界は、これに耳を傾けようとしません。
 私たちの法律事務所が、この二つの世界を結びつけ、平和と人権保障の砦として一層大きな役割を果たさねばならないと実感するこの頃です。 (木嶋日出夫)

 

≪コラム(握手)≫

 6年前、1匹の子犬が家族の一員になりました。顔も体も丸く元気に走り回るのでコロと名付けました。ところが、どうしてこんなに臆病なのか、雷と病院が大嫌い。雷のときは尻尾を垂らしてガタガタ震え、病院の前では引きずってもだめ。注射のときは、白衣を見ただけでその場を逃れようとして、押さえつけて注射をしようとしても暴れて・・・私の腕にはまた引っかき傷です。今回は、獣医さんに白衣を脱いでもらって後ろから近づいてもらい、やっと注射を打つことができました。
 こんなコロですが、寝るときは無防備に手足を伸ばし、たまに寝言を言いながら眠ります。私が帰宅したときなどは、尻尾を振って私に飛び付いて喜んでくれます。人間で言うと既に40歳位の年齢になっているのでしょうが、このままいつまでも元気でいてくれることを願うばかりです。 (山)


≪「無理やり働かされた中国人に対しては、安全を配慮する義務がない」戦時強制連行強制労働長野訴訟で、冷酷な判決≫

 あなたの家族が突然拉致され、敵国の地で強制労働させられたら・・・ 敗戦が色濃くなった昭和19年4月から、占領地中国から4万人を日本に強制連行して過酷な重労働を強い、7千人の命を奪った! 長野県内の木曽・下伊那の発電所建設工事に従事させられた7名の中国人とその遺族が、国と大手建設会社4社に労賃や損害賠償を請求した事件で、長野地方裁判所は、3月10日、原告の請求を全面的に退ける判決を言い渡しました。判決は、敵国のために働く意志など全くない人々を強制連行し、粗末なマントウ一個だけの食事、厳しい寒気が筒抜けの宿舎、逃走したら警察も動員して半殺しの目に遭わせるなど劣悪きわまる状況下で、一年以上にわたり過酷な生活・労働を強いたことを認定し、国と企業が共同不法行為をなしたと断罪しました。
 
 企業に、働く者の安全に配慮する義務あること当然
 
 しかし、判決はその一方で、「企業は働かせている従業員の安全に配慮する義務がある」という確立された判例理論について、「中国人は全く働く意志がなかったから、働く意志がある場合に当てはまるこの理論は適用されない」として、請求を退けました。とんでもありません。働く意志がないといっても、生きて中国に戻るためには働くしか選択肢はなかったのであり、しかもそれは一時的なものでなく、一年以上の長期間にわたり拘束し続けて労働を強いたのです。外形的には、長期間にわたり「たこ部屋」で働かせた場合と同じことです。この場合に企業が従業員の安全に配慮する義務があること当然ですから、中国人に対しても同じ義務を負うのはあまりに明白です。現に、これまでの10件の中国人強制連行裁判のうち、半分の5件ではこの安全配慮義務が企業にあったと判断しているのです。この点で、長野の判決はあまりにひどいものです。
 
 県下全地方議会に、「政府の責任で解決を」と申し入れ

 判決は、同時に、他の事件と同じく時効・除斥という「時間の壁」を強調しました。しかし、一般の中国人が日本の国・企業を相手取って裁判をかけることなど、1990年代になるまでとても考えられなかったことはあまりに明白です。
 裁判長は、さすがに良心が咎めたのか、「中国人に対して本当にひどいことをしたという印象が残る。司法以外の方法で救済されることを望む」と異例の「私的見解」を法廷で述べました。私から見れば、裁判官の職責を放棄するとんでもないもので到底認めることは出来ませんが、戦後60年を超える中で、7人の原告のうちすでに4名が亡くなっていることも事実です。弁護団としては、控訴審に向けて準備を重ねるとともに、県議会を始め、県内のすべての議会から、政府の責任で企業から拠出を求めるなどして中国人に対して一刻も早く謝罪と賠償をなすことを求めるとの政府宛の意見書を採択していただく取り組みを始めています。皆さんのお力添えをお願いします。 (弁護団 毛利正道)(しらかば 2006.7)


≪蒲原沢土石流災害判決≫

1.2006年5月10日、提訴から6年半の審理を経て、判決の言い渡しがありました。
  残念ながら、敗訴判決でした。この事件については、これまでにも何回か「しらかば」に載っていますが、改めて、災害の概要からお話しします。
2.災害のあった蒲原沢(がまはらざわ)とは、長野県小谷村と新潟県糸魚川市の県境を流れる約4・4㎞の沢で、平均斜度20度、上流部は28度もある急峻な沢です。前年も大規模な土石流災害が発生し、その災害復旧工事が行われていました。

現地検分 2003年10月7日

 H8.12.6.午前10:30~10:40頃、姫川との合流地点の上流約2・7キロ地点で発生した土砂崩壊が引き金となり、土石流が発生し、河床等で工事をしていた作業員が土石流に巻き込まれ、死者14名、負傷者9名の大災害となりました。
3.前年の災害により、国道148号線、鉄道(大糸線)など寸断されていました。国道148号線は、長野冬期オリンピックのジャンプ・アルペン滑降の会場である白馬村と日本海側を結ぶ、唯一の道路なので、H10.2のオリンピック(H9のプレ)に向けて、工事を急いでいたという事情がありました。
また、元々、この辺りは崩壊が起こりやすい地形・地質であり、しかも、災害前には記録的な降雨もあり、地盤が緩んでいました。
このような危険な工事現場であったにもかかわらず、何も安全対策がなされていませんでした。土石流センサーの設置なし、監視人もなし、サイレン等もなし、避難設備なしの状態でした。
4.土石流の流れた距離は約2・4キロ~2・7キロで、速度は約13~15m/秒と推定されます。土石流が発生してから(山の崩壊からだともう少し余裕ある)、作業現場まで到達するのに160秒~208秒の時間はあり、実験によれば、30秒~60秒で避難が可能でした。
3で述べた安全対策がなされていれば、作業員は助かった可能性が高かったと思われます。
5.本件工事は、国・県の発注でしたが、何の安全対策もしていなかったのに全く誠意ある対応をしない国・県の責任を問うために、死亡した3名の方の遺族がH11.11提訴しました。
その後、長い間、様々な論点について審理を尽くしてきましたが、5月10日に判決がありました。
判決の内容は、極めて杜撰なものでした。土石流発生を予見することは出来なかったと決めつけ、国・県の責任を否定するため必要な限度で、ごく簡単に判断しているだけのものでした。裁判ですので、負けることもあります。ただ、これ程までに、いいかげんな判断に接したのは初めての経験でした。
6.遺族の方々は、当然、判決を不服として控訴しました。9月からは、東京高裁で審理が始まります。
判決内容を精査し、一審の判断を覆すべく、これまでの主張を見直し、高裁の裁判官が納得するような書面を作成しているところです。  弁護士 相馬 弘昭 (しらかば 2006.7)



≪立山大日岳訴訟判決≫

1.2006年4月26日、富山地方裁判所において、大日岳事件の判決がありました。提訴から4年の審理を経ての判決でした。
 この事件については、何回か「しらかば」でお伝えしましたが、改めて、事件の概要からお話しします。
2.平成12年3月5日午前11時25分頃、北アルプス立山大日岳山頂付近の雪庇(せっぴ)が崩壊し、発生した雪崩に巻き込まれた学生2名が死亡しました。
 文部省登山研修所が主催する「大学山岳部リーダー冬山研修会」中の事故でした。この研修は、全国の大学の山岳部等のリーダー等を対象として、リーダーとしての資質を高めるため、日本の一流の登山家を講師として実施されているものでした。
 ところが、研修中の学生・講師らは、雪庇上で休憩していたところ、その雪庇が崩落してしまいました。雪崩に巻き込まれた学生9名のうち2名が行方不明となり、後に遺体で発見されることになりました。
3.なぜ、このような事故が起こったのでしょうか。登山中の事故は自己責任であるという考え方もあります。しかし、本件の事故も学生の自己責任といえるのでしょうか。
 この事故は、通常の登山と異なり文部省主催の研修中の事故です。ある意味では、学校の授業に類似するものであり、講師と研修に参加している大学生は、先生と生徒という関係ともいえるものです。
 また、当然、冬山には雪庇ができます。雪庇は、山の尾根の風下側に形成されますが(吹き溜り状のものと、「ひさし」があるものがある)、一見しただけでは、どこが本当の尾根なのか見分けがつきません。ですから、夏山の状況を充分に把握しておくことはもちろん、事前に充分な下見をしておく必要があります。
 ところが、講師たちは事前の調査をしていませんでした。自分たちの経験だけから、何も考えずに、雪庇部分に入り込み、大勢の大学生を休憩させたのです。
4.しかし、国は責任を認めないことはもちろん、謝罪もしませんでした。このような国の姿勢に接した遺族は、国の責任を問うために、提訴に至りました。
 平成14年3月の提訴以来約4年間の審理をしてきましたが、遺族は横浜と兵庫県尼ケ崎、弁護団は長野、裁判所は富山というように、バラバラであり、打ち合わせには非常に苦労がありました。また、弁護団も現地調査の為、何回も大日岳に登りましたが、日頃運動不足ですので、息も絶え絶えの状態でした。
 原告、弁護団、支援者の苦労が実って、判決は、原告の主張を全面的に認めるものでした。
5.ところが、国は、5月2日早々と控訴しました。今度は、名古屋高裁金沢支部に舞台が移ります。
 気を引き締めて、第一審の判断が覆されることのないようにしなければなりません。  弁護士 相馬 弘昭
(しらかば 2006.7)


≪毛利栄子の ~県政さわやか報告~≫

歴史が音をたてて変わる瞬間に身を置く感動

 いま、明日の本会議に「高等学校設置条例の一部を改正する条例案」を提案説明させていただくために、最終の原稿を書き終わったところです。(夜中の3時17分)
 県教委が住民の反対が根強いうえに、当該の高校生にも納得できる説明ができず、議会としても、拙速な14校統廃合一斉実施について3回も決議を上げてきたのに、一切聞く耳をもたずに、統合先にありきで暴走を続けている中、議会が県民の付託にこたえ、職責をまっとうするためにはどうしても条例を設置するしかないと、はじまった今回の動きですが、すごいことが起こっています。

2006年6月22日 条例制定陳情

 事前に「共同提案しましょう」とよびかけ、分担して会派をたずねたり、改革プラン検討委員会で何度も説明させていただいたりしたときには、なかなか厳しい感触でしたが、6月22日の開会日当日岡谷市長、大町市長はじめ60人もの皆さんが「ぜひ、条例を通してほしい」と議会に請願に見えられたことも後押しになって、その後も多くの激励電話が党県議団にも寄せられ、住民の世論を背景になんと、10会派あるなかで9会派39人の賛同で(議長と病気入院中の議員を除き56人が基礎数)議案が提案でき、可決の見通しになったのです。
長野県の法律にあたる条例を党県議団の発案でこのような形でつくれるなんて、従来では考えられなかったこと!
本当に、道理があれば政治が変わる瞬間を大きな感動と驚きをもって受け止めています。
6人に躍進した党県議団のもつ意味の大きさを今、しみじみ噛みしめながら、夜もしらじら明けてくるなか、6時には家をでて、長野に向います。今週も1週間泊まりです。


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