ユース8人・シニア5名による、AALAユースネット長野主催「世代を繋ぐ旅・韓国」に、9月15日から6日間参加してきました。私にとっては6度目の訪韓でしたが、感動の連続で胸はち切れそう。また、若返りました。20日午前の最後のしゃべり場で私が発言したことを紹介してご報告とします。
「この繋がりは誰も断ち切れない」
―私が今回のツアーで最も感動したのは、2日目の「アジア平和と歴史教科書連帯」など十数人の韓国ユースとのミニシンポでの、かおるさんの発言でした。「韓国に何度も来ているうちに友だちが出来た。私は、伊那で長靴を履いて野菜を作っているが、その友だちに送って食べさせてやりたいと思う。国対国でやっていることは、畑つくっている私にはどうすることも出来ないけど、友だちを持って思い続けることはできるし、この繋がりはだれも断ち切ることは出来ない。日本に帰って、韓国の人と友だちになりたい人を増やしたい」というものでした。
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西大門刑務所前で |
「不信感あることが世界標準」
私が2年前にユースとカンボジア・ベトナムに行ったときに一番感じたこと。それは、長い歴史の中では隣国同士攻めたり攻められたりしているし、一つの国の中にいくつもの民族が同居していて習慣も違う。互いにそれなりの不信感を持っている、それが世界標準の当たり前の姿。そのなかで、だからこそ、不信や紛争の種があっても戦争につながらないように平和的に解決する努力をしているのだ。ところが、日本は島国で周り見てもほとんど日本人なので、その努力が大切ということを自覚して来なかった。それで、竹島問題一つあるだけで大騒ぎする。
「顔の見える関係こそ」
なんと言っても、韓国は、沖縄に行くよりも近い隣の国で大昔から切っても切れない深い関係がある。だからこそ、また、もめ事も起きやすい。そこで大事なことは、「日本人と韓国人」という抽象的な関係だけでなく、顔の見える友だちを持つことだ。昔、関東大震災の時に、「暴動を起こす」というデマに踊らされて、日本人が一万人近い韓国人を殺した。燃えさかる炎の中に、鳶口(とびぐち)で引っかけて韓国人を放り込んだということがあったが、他方、自分の近所に住んでいた顔見知りの韓国人を他の日本人から助けてやった。ひどい話の中にも、顔の見える関係がどんなに大切なものかよく分かる。これからの人生があるユースの皆さんは、ぜひ、かおるさんのように友だちを持って欲しい。―
とユースに注文しましたが、韓国語を知らない私でも韓国に友だちが出来るかもしれません。韓国に住み「ナヌムの家」を案内していただいた日本人の男性からは、すでにメールをいただきましたし、通訳をしていただいた韓国人のすてきな女性からは、「メル友になってもいい」とのお約束をしていただいたような感じですので。そうなれば最高ですね。
毛利正道 (しらかば 2006.10)
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