事務所ニュースしらかば

しらかば 第123

≪巻頭言≫
≪M会社解雇事件 整理解雇事件の「勝訴判決」を得て 蒲生路子≫
≪対談 東日本大震災ボランティアに参加して≫
≪詐欺的商法“未公開株の勧誘”にご注意!≫
≪もうり栄子のフレッシュ便≫

 

≪巻頭言≫

とんでもない!世界で最も危険  浜岡原発を8千の掌で包囲  

 今後30年以内にマグニチュード8~9の巨大地震が87%で起こる、その真上にある静岡県御前崎市の浜岡原発は、世界一危険な原発、と世界から言われている。それに震えた菅直人前首相が運転中止を要請、中電はそれには従ったものの再稼働をめざして1千億円掛けた津波対策工事を開始した。でも、「巨大津波をとても防ぎきれるものではなく、また、東日本大地震と同じく岩盤が上下に裂けてしまったら、浜岡原発はそのことを想定して設計されていないため倒壊する」。これは、浜岡原発を設計した元東芝技術者渡辺敦雄氏のこれ以上はない確かな証言。

 その廃炉をめざして、周囲4キロの浜岡原発を3500名以上の鎖で包囲する「11.26ひまわり集会in浜岡」に、諏訪地方からは蒲生弁護士の呼びかけに応えた30名が参加。当事務所で作成してゼッケンのように着けた諏訪勢の、青空色の「なくそう!原発」バンダナが映える。長野県代表が「バス3台80名以上で参加した。長野県民の許可なくして再稼働は決して許さない」と連帯あいさつすると、会場いっぱいの参加者から大きな拍手と歓声。青空に取材のヘリコプターが多数飛び交うなか、予想を上回る参加者4000名の鎖で包囲しきり、3時15分、原発に向かって「なくそう!なくそう!浜岡原発」「まもろう!まもろう!こどもたち」と大唱和しました。中部電力が工事を開始した今、運転再開を決して許さないとする大きな民衆の力を示すことができ、まさに歴史を築き変える場に立ったとの思いでした。

毛 利 正 道 (弁護士)

 

≪M会社解雇事件 整理解雇事件の「勝訴判決」を得て 蒲生路子≫

準社員1名だけの整理解雇
 平成23年9月29日、先輩弁護士らと弁護団を組んで闘ってきた整理解雇事件について、整理解雇の4要件全てについて判断を加え、解雇無効を訴える原告の主張をほぼ全面的に認める内容の勝訴判決を得ましたので、ご報告いたします。  本件解雇事件の特徴としては、原告が準社員という身分であり、被告会社には原告の他に準社員はいなかったこと、及び被告会社は30名の希望退職者を募集し、解雇予告の約2週間前に希望退職者が募集人員に達していたにもかかわらず、原告唯1人が解雇されたことが挙げられます。

被告会社の主張をくつがえす事実
 被告会社は、関連企業の債務引受等により従前から厳しい経営状況であったところ、リーマンショックにより更に減収減益となり、不採算部署(原告の所属部署)を廃止する等の経営合理化策を実施したが及ばず、人員削減に踏み切らなければならなかった、原告は所属部署の廃止により剰員となったが、原告に配転可能な部署は2箇所しかなく、その2箇所も原告によって配転を拒否された等と主張しました。
 昨今の不況の深刻さは論をまたないところであり、実際に被告会社の提出した決算書類からは、解雇日の約4月前の決算期には売上が前年比約6割にまで減少し、多額の損失を計上していた事実が明らかになりました。また、原告は、唯一人の準社員であるのみならず、小学生の子を持つ母親であるため夜勤ができないという事情がありました。  
 しかし、他方で、被告会社は、売上が激減したとする解雇日の約4月前の決算期においても、約4億3000万円の利益剰余金を計上しており、本件解雇当時は、高額の機械の受注が回復しつつありました。また、被告会社は、本件解雇通告の僅か6日後から派遣社員ないし請負会社の従業員の受け入れを開始し、その人数は解雇日までの間に22名に達しており、本件解雇後も増加する受注に対応すべく、受け入れを継続しておりました。  
 原告が準社員であったことについても、被告会社の就業規則では、準社員は退職金を除き、定年、退職、解雇等、全て正社員の規定を適用すると記載されております。また、被告会社の役員の尋問の結果、被告会社の主張とは異なり、同社は原告に対し、原告に勤務可能な条件での配転の提示をしていないことが明らかとなりました。

整理解雇4要件(要素)のうち3つを満たさず解雇無効
 判決は、①人員削減の必要性については、本件解雇当時、被告会社の経営状態は相当程度に悪化していたものの、本件解雇の前後を通じて被告会社の受注状況はある程度改善傾向にあったこと、本件解雇の前の決算期は営業損益がマイナスであったのに対し、本件解雇時を含む決算期にはプラスに転じていたこと、本件解雇の前後を通じて派遣社員ないし請負会社の従業員を相当数受け入れていたこと等を認定し、原告唯一人を解雇すべき切迫した人員削減の必要性があったとまで認めることはできないとしました。また、被告会社の実施した正規社員から非正規社員への入れ替えについて、本件解雇を有効たらしめるための要素としての人員削減の必要性の有無という観点からみた場合(判決は、整理解雇の4要件を、4要素と記載しています)、かかる実態を安易に容認することはできないとしました。
 その外、②解雇回避努力についても、原告の主張どおり、これを果たしていないことを認め、③人選の合理性についても、被告会社における準社員という地位は、パートタイマー等の雇用調整の容易な労働者とは終身雇用制の下で雇用されている点で本質的に異なり、会社との結びつきの面でも正社員に準じた密接な関係にあると解され、解雇の相当性判断に際しては、正社員と同様に判断するのが相当であるとしました。④手続の相当性については、原告に対し被告会社の主張を前提とする説明を一定程度実施しており、直ちにこれを欠くような事情までは認められないとしましたが、他の要素を満たしていないことから、解雇は無効であると結論づけました。

控訴審へ ~全面勝利解決に向けて~
 被告会社の控訴により、平成24年1月に東京高裁で期日が開かれます。控訴審でも頑張ります。



≪対談 東日本大震災ボランティアに参加して≫

(M)
東日本大震災の深刻な状況に触れ、私達の事務所でも様々な形で支援活動をして来ましたよね。私たち3名は実際現地に赴いてのボランティア活動をしてきましたので、今日はその感想を語り合い、今後の支援につなげていけたらと思います。まず、Nさんは先陣を切って5月に仙台に行きましたが、その時の状況はどうでしたか?

~5月 仙台市宮城野地区でヘドロの撤去~
(N)
仙台市宮城野区に行きました。個人宅のヘドロや瓦礫の撤去が主な仕事でした。健康に害があるかもしれない為、ヘドロなどは業者で引き受けてくれないので、個人で家の中から出さないといけないんです。天井近くまで泥が付いていて、ここに人が住んでいたとは信じられない状態でした。雨も降っていたので一瞬で体中が泥だらけになり、力仕事で大変でしたが、休憩もよくとらせてもらいなんとか無事やり終えました。

~6月 岩手県 取り残された被災地で~
(M)
6月にはNさんと私の2名で、日本共産党主催の岩手県へのボランティアツアーに参加しました。遠野市のNPOまごころネットに登録したのですが、メンバーが「ここに必要」と思う事を自発的にやっている姿にまず感動!各地から集まった仲間が元気に活動に参加できるよう、炊き出し志願の女性、ひとりぼっちの参加者のために交流会を設ける男性など、細やかな心配りが生まれていました。こういう思いやりの心がきっと現場でも活かされていくのだろうと、作業に向かう力をもらいました。実際現地に行くと、被災者の方達の心情に配慮した、より一層細やかな心遣いが必要になります。ミーティングではその事も何度も繰り返し注意されましたよね。「写真をむやみに撮ってはいけない」「被災者の方に指示しない」「無駄話しない、大きな声で笑わない」など。その時は時期的にもかなりピリピリしたものありましたよね。
(N)
私も実際作業現場の持ち主の方に会った時、「被災者の方たちを何気ない言動で深く傷つけてしまう事がある」と注意を受けていた事を思い出し、何て声をかけたらいいかわかりませんでした。
(M)
作業現場は「釜石市箱崎地区」を選びました。「取り残された被災地です」というリーダーの言葉に、ある程度の深刻さを覚悟はしていましたが、実際現場に着くと、目の前に広がる、瓦礫の原・瓦礫の山、建物に突っ込んだままの車輛、海岸の樹木の枝にひっかかったままの寝具など、あらゆるものが無秩序に崩れ、入り乱れた情景に心がギュッと固まりました。
(N)
途中通過した町は、重機が忙しく動き回り、酷い状態ではあるが「進んでいる」という印象を受けましたが、箱崎は入り組んだ地形の小さな地区で、どういう波が来たか、その残っている瓦礫の形からわかるほど、何も作業が進んでいない感じでしたね。新聞に載っている写真の様で、風が吹き何かが揺れると、やっと本当の目の前の景色だと感じることができました。
(M)
本当に…そんな感じでしたね。そこでは民家の泥の清掃、家の周りの瓦礫撤去をしました。押し寄せる無力感と闘いながら、ただ黙々と目の前の仕事に没頭するしかなかった…。その中から、食品、靴、アルバムなど生活の痕跡が現れ出る度、持ち主の無事を祈らずにはいられませんでした。 11月にはFさんとNさんが、今年最後のボランティアツアーに参加しましたね。

~11月 大槌町・津波の爪痕~
(F)
今年最後の派遣と言うことで、15名が参加しました。主な活動はこれまで最大規模の400軒の仮設住宅にて行われる青空市でした。前日に遠野市で、米と野菜を小分け袋400袋以上準備し、食器類も利用価値の無いものを除いて正月用の器を準備したり、冬物の衣料をワゴン車に詰め込んだりして。
(N)
大勢だったので、作業はすぐ終わってしまいましたよね。
(F)
ええ、ですから、午後は被災地「大槌町」を見学しました。大槌町は海沿いと川沿いの町で、町の大部分が津波の被害を受け、町長さん以下、町の職員の3分の1が亡くなり、町民1300人が犠牲となった場所です。沿岸部の平らなところは所々に鉄筋の建物が2階まで窓ガラスが割れて残っていました。見晴らしがいい土台だけの街と化していました。瓦礫はほとんど片付いて海沿いに倒れた堤防の向こうに大きな瓦礫の山が見えました。ぷかぷかと流れる車は映像で見ましたが、ぐしゃぐしゃに丸めたような形に壊れた車が集めてある場所がありました。津波の中で大きな石のようにごろごろ転がったのではないかと思いました。消防車も丸まっており、津波の勢いが想像できました。
(M)
青空市の様子はどうでしたか?

~大盛況だった青空市~
(F)
目指す仮設住宅群は30分以上も川沿いに上った、山沿いにあり、田んぼの向こうに何棟もの仮設住宅団地が並んでいました。私は何人かと衣類のところを担当しました。衣類をブルーシートの上に広げての青空市。エプロン・ウエストゴムのズボン・ズボン下、毛糸の帽子や手袋など足りないものもありました。シンプルな普段着が必要なんだと思いました。今回のボランティアは直接被災地の人々と触れ合う機会が青空市でしたが、衣類を選ぼうとぎゅうぎゅう押し合う人々の中で、あれ欲しい、こんなのないかといった会話だけで、衣類をひっくり返しては希望の物を探すだけで、会話をしている暇は全くありませんでした。集まった人々は300人以上、大盛況でした。
(N)
私は、2日目は陸前高田市で畑の瓦礫撤去の作業をしました。最後に畑の持ち主のおじいさんが「この畑でまた必ず野菜を育てます」とお礼を言ってくれて…一日の疲れが取れた気がしました。一緒の畑で作業した静岡の方が、前回来た時に上長部地区の畑で蒔いた麦の芽が出たと言う事で、その様子を見に行きました。サンマの冷凍工場があったため、震災直後は津波と共にサンマが地区を埋め尽くし、腐敗臭、ウジ・ハエでひどい状態だったのに、ボランティアが早くから集中的に作業した為に、復興が進み、運動会も行われたそうです。広い畑に麦の芽がきれいに並んでいる様子は希望そのものでした。 一人一人のボランティアが集まった、「人間の力」を感じました。

~がんばっている!今の大槌町を見て欲しい~
(M)
私が6月に行った時は、写真を撮ることを自粛しましたが、今回は違いましたか?
(F)
昼食をとった「おらが大槌復興食堂」のお兄さんが「大槌町はボランティアの皆さんにも手伝ってもらい、瓦礫も片付き、復興食堂もでき、がんばっている」、「今の大槌町を見てくれ!と全国に発信したい」、「写真どんどんとって各地に広めてください」、「次は是非観光で来てください」言ってくれたのです。ですから、その気持ちを受け止めて写真も撮ってきました。
(M)
ボランティアをしてきた仲間で体験交流をし、これからどう支援をしていくか、話し合おうという案も出ているようですね。ぜひ今後につなげていきたいですね。

 


≪未公開株勧誘にご注意≫

 「突然電話がかかってきて、未公開株を勧められた。迷っていたが別の業者から高値で買い取ると連絡があったので、購入したが買い取ってもらえない」、「前に購入した未公開株があれば買い取ると言われて話を聞いているうちに、結局、また新しく未公開株を買わされてしまった」など、未公開株や社債の勧誘をされて高額のお金を支払ってしまったという被害が相次いでいます。
 一昨年来、このような詐欺的商法が全国的に増加しており、消費者庁でも注意喚起を呼びかけています。
 被害にあってしまうと、そのお金を取り戻すことは非常に困難です。上場企業でもない会社の未公開株や社債は、市場性がないので換金できません。また、販売した業者にお金の返還を求めても、最初から騙すつもりですので、業者はすぐに逃げてしまって、連絡がとれなくなってしまいます。
 業者は、巧みな言葉で誘ってきます。「甘い話には罠がある」ことを肝に銘じて、お金は絶対に支払わないことです。
 そして、被害に逢ってしまった場合は、すぐに警察や弁護士に相談しましょう。


≪もうり栄子のフレッシュ便≫

いまが頑張りどき、 幅広い皆さんと手を携えて 前県議 もうり 栄子

 東日本大震災と原発事故から既に9カ月。この間6月と10月にそれぞれ4日間ずつ岩手にボランティアに行かせていただきましたが、11月20日投票の福島県議選では4日間伊達市・伊達郡区(3人区)のあべ裕美子さんの応援に行って来ました。あべさんは4人区だった8年前まで2期県議を務められた方ですが、3人区になってここ2回は落選していました。初めて女性後援会を立ち上げ独自の事務所も借りて活動されていましたが、女性パワーには圧倒されました。阿部さんを応援するという方の署名が200人をこえ、名前は出せないが応援するという方がやはり200人余おられて、その名前を紙面いっぱいに掲載したものを地元紙に折り込みしてアピール。大きな反響をよび、党派を超えて期待が広がり見事2位で返り咲きました。
 福島は原発被害が深刻で、お米からセシウムが検出され出荷停止、特産の干し柿「あんぽ柿」も出荷自粛ということで、農家は大打撃。この問題で東電を呼んで賠償の先頭に立ったのがあべ裕美子さんです。東電はとうとう、全面賠償を約束。住民の苦難軽減の先頭に立って私利私欲なく頑張りぬく共産党に信頼が広がり、福島では3議席から5議席に躍進し、交渉会派入りする事が出来ました。今が、頑張りどき。私も大いに元気をもらいました。

 



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