事務所ニュースしらかば

しらかば 第97号

≪養育費を支払ってもらえない場合は?≫
≪最高裁新判例 平成16年7月13日判決≫
≪67名が立ち上がった裁判、10月28日いよいよ第1回弁論 全国で突出した開拓団を送り出した長野県での中国「残留孤児」訴訟≫
≪四選めざして 木島日出夫≫

 

≪養育費を支払ってもらえない場合は?≫

 裁判や調停(審判)などで決まった養育費を支払ってもらえない時にどんな方法があるのか。今年4月に法律の改正がありましたので、それも含めてご説明します。
<履行勧告・履行命令>
裁判所から、相手に対して、養育費を支払うように「勧告」あるいは「命令」をしてもらう制度です。
履行命令がなされた場合に、正当な理由がないのに命令に従わない場合(つまり養育費を支払わない場合)、裁判所は過料を課すことかできます。
<強制執行>
相手の財産を差押えて、強制的に取立をする手続きです。
今回、給与を差押えする場合について、大きく法律が変わりました。
一つは、まだ支払時期が来ていない将来の養育費も含めて、一度に強制執行の申立ができることになりました。
もう一つは、給与は4分の1しか差押えが出来ないのですが、養育費の場合は、2分の1まで差押えができることになりました。
以上のとおりですが、どの様な方法が効果的なのかは、状況によって異なりますので、弁護士に相談して手続きをすることをお勧めします。

(しらかば 2004.10)

 

≪最高裁新判例 平成16年7月13日判決≫

 農地の賃借権の時効取得には農地法の許可は不要。家庭菜園も賃料を受領し、20年間耕作が続けば、(借主は)賃借権を時効取得できる。

(農地法解説)
 農地を家庭菜園として借り受けて野菜などを作っている事例は多く見受けられます。家庭菜園も農地ですから、賃貸(地代をもらって貸す契約)するには、農地法の許可を得ることが必要であり、許可を受けない賃貸や売買契約は、無効であるとされています(農地法3条)。このため、農地法上の許可を受けないでした賃貸や売買契約の貸主や売主は、いつでも農地の返還を求めることが出来ることになります、が・・・。

(事例)
 Aさんが、ある寺院から本件農地を賃借し、20年間以上にわたって野菜等を作ってきました。ところが寺院側は、本件農地を駐車場として利用する必要が生じたことから、本件契約が農地法上の許可を得ないでした無効な契約であることを理由にAさんに対し、農地の明渡しを求めて来たのです。
 借主であるAさんは、この農地の賃借権を時効取得しているので、その権利を前提としての解決を求めましたが、寺院側はこれを受け入れず、Aさんを相手取り農地の明渡訴訟を提起してきました。
 一審、二審の裁判所の判断は、いずれも従前の最高裁判所の判例を踏襲して、農地法の適用にはふれずに、「土地の継続的な用益という外形的事実が存在し、かつ、それが賃借の意思に基づくことが客観的に表現されているときには、土地の賃借権を時効により取得すことができる」として寺院側の明渡請求を棄却しました。
 寺院側はこれを不服として、農地法の許可がないのに時効取得を認めることは法令違反であるとして、最高裁に上告受理の申立をしましたが、最高裁は、農地法の目的は、耕作者の地位の安定と農業生産力の増進を図ろうとするものであるから、耕作をして農地を継続的に占有しているものにつき、土地の賃借権の時効取得を認めるための上記の要件が満たされる場合において、その者の賃借権の時効取得を認めることは、農地法3条の趣旨に反するものでないので、農地法の許可の規定は適用されないとして、寺院の上告を棄却しました。  
 これは、最高裁の新判例です。農地法の許可がない場合でも、20年間以上賃料を支払い、耕作を継続していれば、家庭菜園等農地の賃借権の時効取得が成立します。なお、そうなりますと、賃貸契約の解約は、農地法上制限されることになりますので、農地を貸している地主側の立場としては、賃貸期間が20年間を超えないうちに農地の返還を求めることも検討しなければなりません。

(しらかば 2004.10)

≪67名が立ち上がった裁判、10月28日いよいよ第1回弁論 全国で突出した開拓団を送り出した長野県での中国「残留孤児」訴訟≫

 午後2時から長野地裁で行われる裁判で原告が意見陳述します。現在、駒ヶ根市に住むSさんご兄妹(71才・68才)は、この3月に私に次のように語っています。            弁護士 毛利正道

 佐久・八千穂村の家の周りには20戸ほどの小作農家がありましたが、村じゅう集められて「生活苦しい人は中国に行くように」と言われ一戸毎に移住する先を指示され、ほとんどの家が開拓団として旧満州に渡りました。
 私たち7人一家が昭和16年から敗戦時まで4年余り住んでいた家は、元々中国人が住んでいた古い草葺屋根の家屋でした(日本が中国人を追い出し、一方的に取り上げたものですー毛利注)。ソ連国境近くの大草原のなかにある、道もない、寒さも厳しく米もよく取れない土地でした。
 母親は寝る間がない中、既に昭和19年に38才の若さで亡くなっていましたが、20年8月14日、私たちが13才と10才の時、ソ連軍や中国人から逃れるために近くの100名ほどの日本人と一緒に一家で逃げ出しました。中国人が追いかけて来て、焼き打ちにあって殺された人もいました。私たち家族も鶏密県城子河という所で、ソ連軍や中国人の襲撃に会い、39才の父・14才の兄・1才の弟が目の前で撃たれて殺されました。私たち2人は、食べる物もなく、道端の牛の足跡に貯まった雨水を飲んで5日間ようやく生きのび、とても親切な王さんから自宅に連れていってもらい、九死に一生を得ました。
 その直後、村の人々が多数王さんの家に押しかけて来て、「日本人を出せ、出さないならこの村から出て行け」と言いましたが、王さんの奥さんは馬鞭を持って庭の真ん中に立ち「この子たちは私の子どもです。この庭の中に入ると私は許しません」と毎日がんばり続けてくれました。養父母のおかげで私たちは救われました。その後も貧しいながら私たちを育て上げてくれました。
 私たちは20数年前に子どもらと共に帰国しました。いつか自分の故郷に帰れる夢を持って長年異国で生きていて、やっと自分の故郷へ帰れる日が来て、嬉しくて2晩眠れませんでした。でも、帰国後、言葉も通じない中でみんな苦難の生活になりました。現在わずかな国民年金しか収入がなく、重い病気を抱え、二人とも単身生活が不可能な状態です。一緒に帰国した子どもたちが、日本語もままならないなか、必死に介護してくれていますが皆、生活がとても苦しいです。今後、更に高齢になり、病気も重くなっていくことを思うと暗いせつない気持ちになります。
 日本国の指示で中国に開拓団として行かされた結果が、今の辛く苦しい・先が暗い生活です。せめて私たちが晩年安心して生活できるよう政府は、住居・医療・年金などの面で十分考えていただきたい、よろしくお願いします。

(しらかば 2004.10)


≪四選めざして 木島日出夫≫

小泉首相のおごり
 9月27日、小泉内閣改造と自民党3役人事があった。
 「郵政民営化」への布陣といわれるが、率直に言って重量感のまったくない顔ぶれだ。
 『「うるさ型」外し「使い勝手」優先』と評したマスコミもあったが、「小泉人気」も失せはじめた首相がイエスマンだけを集めたのなら、それは、この内閣の脆弱さを示すものだろう。
 18人の閣僚うち13人までが日本歯科医師連盟から政治献金を受けており、11人が改憲派議員でつくる憲法調査推進議員連盟のメンバーであり、消費税増税を鮮明にしている経済財政関係閣僚はすべて留任となった。
 まぎれもなくこの内閣は、憲法改悪・消費税大増税を推進する内閣だ。
 小泉首相の任期はあと2年。06年9月まで。
 その間、国政選挙はないだろうと想定されており、民主党も基本路線に変わりはない。それならばこの程度の顔ぶれでもいいだろう、と小泉首相は思っているのではないか。
 先の通常国会ころから見え始めている首相のおごりが、ここにも顕われていると思う。
 しかし、おごれるものは久しからず。
 憲法とくらしをまもれの国民の世論が、小泉首相の思惑をのりこえて前進するだろう。


≪毛利栄子の ~県政さわやか報告~≫

県庁内残業調査で「月下美人」の開花に遭遇

 田中県政になって「残業が増えている」ということが言われ、健康を害する職員も見受けられることから党県議団として残業実態調査をしようと、9月15日と16日の両日実施。15日はベテラン組みという事で、石坂、藤沢、小林議員が。16日は若手組(?)という事で、私と、高村、備前、それに「あおぞら」の林議員。
 夜9時に議員会館前に集合し、党県議団発表の「長野県政改革の評価と日本共産党の立場」の県議会報告号外を持って配りつつ1階から8階まで。(9階、10階の県警は除外)
 ほぼ2時間かかりましたが夜10時過ぎても女性を含め残っている職場が。「食事はすまされたのですか?」と聞くと「まだ」という人多し。「11時40分の終電で帰る」という職員も。健康が心配。
 地球環境課に行くと課長一人残っており、「月下美人が咲いたので見ていって」と。思わぬ場面に遭遇。実物は初めてなので、残業調査と言う事も忘れて皆で白い高貴な不思議な花を見て大騒ぎ。私もあわてて携帯のカメラで何枚かパチリ。いい日に調査が出来ました。
 11時くらいで残っていた人はほぼ100人。ちなみに一番遅かった人は真夜中の1時半とのこと。山口村の越県合併で、知事が9月議会に議案を提案しないことにともなう対応のようでした。15日はノー残業デーでいつもより少なめ。本庁で働く皆さんはおよそ4000人。石坂団長によれば吉村知事時代も調査したが今より残っている人は多かったと?!


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